山椒の小部屋

JAPANESE PEPPER ROOM

vol.20

イヌサンショウの油(曼椒油)について

今回は奈良文化財研究所(以下、奈文研と略)から、頂いた資料などのご紹介をさせていただこうと思います。 奈文研に関しては、ご存知の方が多いと思います。平城京や藤原京遺跡、その他古代の文物を調査されている国立研究機関です。

およそ我々と接点がなさそうな感じなのですが、当コラムを見ていただき、イヌザンショウについてご質問をいただきました。 なんでも古代の貴族はイヌザンショウ油(曼椒油)を灯明油(行灯の油)にしていたらしいので、これを検証するためとの事でした。 

これまで山椒油を照明用に使用するなど、聞いた事がありませんでしたので、それはビックリしました。中国では縁起物として、 皇帝の奥さんの部屋の壁土に花椒を混ぜ込んだ部屋(椒房)を作ると言う事ですが、それと似たような事なのでしょうか?


以下は奈良文化財研究所紀要(2013)の引き写しとなります。もし詳細にご興味があるようでしたら、奈文研 神野主任研究員へご質問をお願いいたします。


灯明皿および灯明油、灯芯について、これまで考古資料、文献資料からのアプローチが少なかった。本研究では7、8世紀の灯明を考える基礎的研究の第一段階として、 文字資料に現れる植物油の種類を整理しておきたい。

具体的な植物油の名前は、多くは「油」とのみ記されており、どういった種類の油であったかは不明であるが、養老令の賦役令1調絹?条や廷喜式の主計上にみえる 諸国の中男作物、主殿寮の諸条などにまとまって登場する。

列記すると、胡麻油、荏油、麻子油、曼(蔓、?)椒油、海石榴油、胡桃(呉桃子)油、閉美油の7種類である。胡麻油=ゴマ、荏油=エゴマ、麻子油=アサ、 海石榴油=ツバキ、胡桃(呉桃子)油=クルミの種子から搾った油であろうことは容易に想像がつく。灯用植物を研究した深津正氏は、閉美油が和名抄の記述などからイヌガヤの 油であることを論じ、また曼椒油についても、新撰字鏡、本草和名などに蔓椒の訓が「保曽木(岐)」とあることと、イヌザンショウが現在でも中部地方の方言で「ホソキ」や 「ホッソキ」と呼ばれることから、曼椒=ホソキ=イヌザンショウと結論づけた(深津正『燈用植物』ものと人間の文化史50、法政大学出版局、1983)。

木簡にも油の記述が少なからずある。種類まで記すものは、荷札・付札が多い。胡麻油・麻子油・荏油・曼椒油は、賦役令に規定されている品目と一致する。 「木油」、「富子木油」は植物油と見られるものの、何の油か不明である。


-------------------------------------(中略)--------------------------------------------


曼椒油とはどういった油だったのであろうか。延喜式では灯明油以外に、馬の薬や皮なめしに使われていた。イヌザンショウに含まれる精油成分には抗炎症作用があり、 漢方薬として現在でも用いられているものの、日本ではもはや搾油はおこなわれていない。そこで、本研究では曼椒油の実態を探る為の搾油実験を行った。大阪市立大学理学部付属植物園、 いし本食品工業株式会社などの協力を得て、イヌザンショウの果実を集め、加熱して油を搾ったところ、オリーブ色の油を採ることができた。

また、イヌザンショウの油は、今でも中国や韓国で搾られており、調味料や薬として利用されている。なかでも韓国では伝統的な方法で搾油をおこなっており、 金部重氏の協力を得て入手した油は、我々が搾油したものときわめて類似するものであった。

イヌザンショウは果皮に辛みと独特の香りが含まれるが、油分を含む黒子もしくは椒目と呼ばれる種子には、ほとんど香りと辛みはない。よって、 種子から搾った油はまったく無味無臭の油であった。この油を用いて灯火実験を行い、油煙の採取もおこなった。

今回の実験を通して、灯明皿についた油煙と比較可能な標準資料を得ることができたことと、120gの種子から20g弱の油しか得ることができないことなどを 知ることができた。今後、古代の灯明および灯明油に関する研究に活かしたい。


---------------------------------(原文終わり)------------------------------------------


本来であれば全ての資料と表・図などをご紹介しなければならないのですが、長くなりすぎるため省略させて頂きました。 頂いた資料の内容が高度すぎて、あまりコメントできる部分がありません。どちらかというと、添付資料で頂いた大阪市立大学理学部付属植物園「友の会だより」の方が 親しみやすかったです。


昔の照明はお刺身の醤油皿の様な小鉢に、灯明油とロウソクの芯のような灯芯を入れて、これに火をつけていたそうです。本を読むのも辛そうな光度の照明しか無かったのですから、 昔の夜は現在よりも深かったのだろうな、と想像しました。


私は会社の出張で韓国や中国へ行かせて頂くチャンスがあり、どちらの国の山中でも自生のイヌザンショウを見ることができました。薬として使用しているという文献を 見たこともあります。ただし、これを食用や灯明油として使用している人を見たことがありませんでした。(→その後の調査で、イヌザンショウ油は酸化しやすく、食用に適さない ことが分かったそうです。)


食用として使用しない(捨ててしまう)種子から油を搾り、これを灯明油にするとは、古人の知恵に頭が下がります。本当に物を無駄にしなかったのですね。

しかも四川省では果皮部分の香辛成分が狙いの調味油が、韓国全羅北道鎮安郡の山椒村では、種実だけの全く香辛成分を含まない油で、主に滋養強壮の薬として 製造されているそうです。そんなものがあることすら知りませんでした。知識不足を痛感すると共に、これからも様々な勉強をしなければと猛省いたしました。


ところで、香気成分の含まれているイヌザンショウ油ですが、灯明油として使用すると、どんな感じになるのでしょうか? 神野主任研究員のコメントでは、 目がチカチカして、鼻の奥はムズムズ、粘膜が刺激されるような芳香が充満したそうです。ちょっと室内用の照明には刺激が強すぎるようです。でもひょっとしたら 虫除けには役に立つかもしれないな、と思いました。


また、研究成果は産経新聞でも取り上げられています。そちらの方が大変詳しく説明されておりますので、以下のURLをご参照願います。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140803/wlf14080312000001-n1.htm